
[London Journal vol.3]「どんな私でありたいか」ロンドンでこれからの自分を考える
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こんにちは。西澤です。
ロンドンに移住してから、はや1年半が経ちました。振り返ってみると、この1年半で変わったのは言語や生活環境だけでなく、自分が何者なのかという感覚なのかもしれないと、ふと考える今日この頃。今回の記事では、ロンドンでの暮らしを経て変化した、心のうちについて話してみたいと思います。ロンドンに移住したきっかけなどについてはこちらをご覧ください。
何かに迷っていても、迷っていなくても、すこし今の自分を振り返るきっかけになれれば嬉しいです。
自分で引いていた「日本人」という境界線
移住直後の私は、目の前に広がる新しい生活と景色へのわくわく感に溢れるとともに、目まぐるしく回る街と日々に圧倒されていて、なんだか混沌とした異世界にひとりぽつんと降り立ったような気持ちでいました。生活を整えていくうちにそんな感覚には慣れていったものの、自分の中の「日本人としての自分」「日本で認識していた自分像」はそのままで、どんなに楽しいことがあっても、自分だけがこの街の中で何か異なるもののような、どこか馴染みきれないような感覚がありました。外国人だから、母国語でないから、異なる文化や価値観で育ってきたから、、実際に何かと違いを目の当たりにすることが多かったからそう感じざるを得なかった部分もありますが、自分で自分とまわりとの間に境界線を引いていたように思います。
きっとこんな風に考えていたのも、今までの自分の思考回路に由来するのだなと、今振り返ると思います。あくまで私の場合ですが、いつもどこか一般的な正解を探していて、まわりに自分がどう馴染めるかを無意識レベルで考えていたのだと思います。
言語も、仕事も、生活環境も、新しい人間関係も、叶えたい夢も。1年目はとにかく目の前の環境に適応することに精一杯でした。
ダイバーシティ溢れる街で自分の個性を見つめ直す
そんな中、ロンドン生活も2年目に。気持ちに少しずつ余白が生まれてくるとともに、自分に問うべきは「この街にどう馴染むか」ではなく「この街で私はどうありたいか」なのだと、考え方が変わってきました。
ロンドンは世界の中でも有数のダイバーシティ溢れる街。初めは自分だけがよそ者のように感じていましたが、よく考えてみると、国籍や文化、言語、宗教、価値観、人それぞれの違いがとても身近にありました。
日本では、周囲と同じであることを求められている感覚があったり、実は求められていなかったかもしれないけれど自分が周囲と同じであることを求めていたりしていましたが、ここでは「それぞれが違うこと」が前提になっていて、違いも含めて個性としてより一層受け入れられているように感じます。だからこそ私も「まわりに合わせる」よりも「私はどうありたいのか」を考えるようになりました。
また、自分を構成する要素も変わってきます。今までは年齢や仕事、所属しているコミュニティなど、自分の属性が自分自身を説明する大きな要素になっていたように思います。もちろんそれはここでも変わりませんが、色々な人と出会う中で、それだけではなく「何が好きなのか」「何をやってみたいのか」「どんなことを大切にしているのか」「どう生きていきたいのか」といったより個人的な部分から人とのコミュニケーションが始まることがより多いように感じます。(もしくは、私自身が今まで人に正面から深く向き合えていなかったのでしょうか…)
そんな環境で過ごしているからか、はたまた仕事をはじめ自分を構成する要素が変わったからか、今まで自分のことをよく分かっていたつもりなのに、またほとんど白紙になったような気持ちに。しかしそれはポジティブなことで、今まで自分で言い聞かせていた固定概念を一度外して、また新たに「自分がどんな人間なのか」「どんな自分でありたいのか」「どんな風に人生の時間を使いたいのか」あらためて考える機会になりました。それは少し幼い頃に戻ったような感覚でもあり、心地良い感覚でもありました。

日本とイギリスの狭間で
移民や海外生活を考えるうえで、「どちらの社会や文化にも完全には属し切れていない境界的な状態」を指す概念が存在します。「以前の自分と新しい自分」また「日本人である自分とイギリスで生きる自分」。母国語でないこと、自分の国ではないこと、家族がいないことをはじめ、日本では自然に感じられたものがここにはなく、やはり移民なのだと感じる感覚や、日本での自分が少しずつ薄れ、言語を失うことはありませんが言葉の表現の幅や、日本で大事にしていた価値観を失ってしまうのではないかという感覚。少しイギリスに住んだからといってイギリス人になるわけでももちろんありませんが、今までの自分も少しずつ失っていく感覚は、どこにも帰属感がないようで少し不安なものでもありました。
しかし、これも先ほどの話と似ていて、どこに正解があるわけでもありません。日本とイギリスのどちらかを選ばないといけないわけではなく、今まで日本で見つけてきた自分が大切にしたい価値観に、今ここで出会った文化や考え方を重ねて、また新しい自分になっていければ良いのだと、あたりまえのようなことではありますが、ダイバーシティ溢れる街で暮らしたことで体感として感じることができました。
一瞬自分を見失ったような感覚にもなりましたが、自分を定義するものが一度なくなったのであり、自分らしくいられる場所だからこそ、自分が大切にしていきたいものにまた出会い、少しずつ新しい自分になれたら良いなと思います。

未完成の自分を楽しむ
長々と心境を語ってしまいましたが、それも含めて今はここでの暮らしがとても好きです。きっとそれは、ここにいること自体が自分の選択であり、自分で自分の人生を築いている感覚があるから。そして「自分はどう生きたいのか」という気持ちに忠実な人たちを見ていると、夢があってここに来たのにも関わらず自分の中に眠っていた夢がどんどん溢れてきて、あと何回分かの人生が欲しいと思ってしまうほどです。夢を持っているだけでは咲きませんが、学生の頃の自分には考えられないほどこれからの自分の人生が楽しみで、それは少なくとも自分のエネルギーになっているのだなと感じます。
また、私にとってはロンドンという街がそんなことを考えるきっかけになりましたが、きっとそれは海外にいるからという話ではないと思います。どこにいても、新しい街に引っ越したとき、新しいキャリアを始めたとき、人生の新しい節目を迎えたとき、新しい人や価値観に出会ったとき、大きなきっかけがなくても、今までの価値観が少し崩れてまた新しい価値観に出会うことがあると思います。どこにいても悩みも喜びも結局は自分次第で、ロンドンに来て変わったというよりも、まわりと同じでなくて良いと自分を認め、「自分は何を大切にしていきたいのか」「どう生きたいのか」あらためて考える機会になり、また少し新しい自分をつくり始めたのだと思います。
そして、そんな「自分」はまだまだ未完成。今まであたりまえだと思っていた自分自身を再認識し、一度ほどいて、また紡ぎ直す。変わっていくことには少し怖さもありますが、まだまだどんな自分にも変わっていけると思うと、毎日が喜びに変わる気がします。それだけでもここに来て良かったと思えますし、またひとつ、ふたつと増えてゆく夢を叶えるためにも、毎日をしっかりと積み重ねていきたいと思います。
もし、どんな自分にでもなれるとしたら、みなさんはどんな自分になりたいですか?


